2018年10月18日 地図表示を修正。
2018年10月13日 ずっとお休み中。まとめたいので、全体の不都合を直していきます。本来の、生理的な記憶喪失から回復には手間取っている。

2017年4月25日 忙しくなって、滞っている。極短焦点ニュートン式反射望遠鏡の光軸を。調整し始めて、4年が経過して、やっと合うようになった。そのまとめを登録した。

2016年6月25日
福島に出かけると、毎回新たな発見がある。それを綴っている。

2016年6月21日 福島・宮城・米沢の計測データをまとめた。まだやっているのか。新聞を読めば毎日計測データが出たりという事はない。福島の現状の記事にはなかなかお目にかかれない。政府発表はもうなんでもなくなって、東日本の放射能環境汚染は消失したことになっているらしい。明治以来、新聞は人々を教育している。新聞記事はどれも、政府よりの教育的になってきた。

2016年4月28日 今年も山口のアースディに関東東北の原子炉事故放射能土壌オートラジオグラフィーを野外展示して皆様のご意見を聞かせていただいた。
仁保川のエビ採取のつもりがザリガニ採取になってしまったのでその写真を掲載した。


2016年2月3日 2015年10月の福島の検査データがそろっているがなかなかまとまらない。クドイホームページの書き換えもなかなか進まない。放射能を安全と説明するには一人当たりの死亡率など放射能や死亡を割り振って数値がいくらになるという論法がはやってくる。それしか説明方法がないような数値のものをいわせるのだ。数値を操作した人間に本当にどう理解されているかは伝わらない。

2015年11月7日 10月の追加データ 福島の状況を知ることは、他の場所の状態を知る前提になるようだ。ミクロにも不均一だった放射能の散布状態はマクロ的にも一層不均一であった。航空機測定や、モニタリングポストでは間に合わないのだ。実態を知って、そこで農業をすることはどんな結果をもたらすのか。復興とは何なのか。
2015年11月5日 2015年10月の追加計測データができた。地表に生育するカタバミを食草としているヤマトシジミの研究者がなくなった。汚染地に生育するカタバミをそっくり採取して、ヤマトシジミを飼育するという汚染まみれの苦心の研究だったと思う。誰にでもできる仕事ではなかったが、地表が汚染されて無念に思いつつの生き物の声を聞こうとしていた仕事だった。小さな生き物にとって、不規則に汚染された地表での生存に内部被曝も、外部被ばくも同じようなものだ。β線も、γ線もどちらからも(内外)被曝する。その被曝量は微小な点であり、計測機で定量できる性質のものではなかった。原子炉学者から、そんな微量な被曝量が変異の原因ではないと笑われながらの仕事だっただろう。そうではない、原子炉学者さんの計測と小さな生き物や、細胞レベルの被曝を結び付けることができていない。


2015年10月2日 6月のオートラジオグラフィーデータ、飯舘村ができた。β線源の降下物と植物に吸収されたβ線が見られる。

2015年9月30日  6月のオートラジオグラフィーデータ、南相馬ができた。β線源の降下物と植物に吸収されたβ線が見られる。

8月19日 松戸市のDeli さん一行に合流して検査と、土壌の放射能のフィルムによる可視化を公表していましたが、土壌計測データを教示していただいたので、対応を取って比較した。オートラジオグラフィーと空間線量、ベクレルBq/kg
の関係が見られるようになった。


2015年7月28日 西日本は連日曇りか雨、日照は少ない。神奈川県藤沢市土壌検査の結果ができたので、初めてgoogle map APIのスクリプトを書いてアップした。採集位置が川の中と表示されてしまった。

2015年7月5日 6月末の飯舘村、南相馬市、川内村、葛尾村、いわき市、広野町、楢葉町、富岡町の放射線計測値を掲載しました。今回はかなり線量の高いところがあり、β線皮膚被曝をしていると思いますが、皮膚は最大の臓器と言われ、疲労感の原因でしょうか。
体調を壊す人が多いことと関連があるのかなと考えています。こういう所へ帰還して、どういう生活が成り立つのか考えてくれているのでしょうか。

2015年6月14日 オートラジオグラフィーで検出される、黒い感光源は一体何だろうという疑問が、遮蔽効果と、被爆距離からわかってきた。γ線ではなく、β線だということが。首都圏の飯舘シンポジウム2015で今中さんもそのように指摘した。そうすると、このセシウム何ベクレルという土くれの内部被曝量をγ線から計算していたのは一体何のためだったのだろう。計算することさえできないβ線に対処する手段もない。鼻血が出たという人の被曝量をγ線だけで考えては意味のないこと、鼻という局所で考えれば、β線を無視して語ってはいけないのだ。そういうことが思い起こされる。

黄砂が例年より少なかったので、5月にいくつかの天体写真を更新した。下手な天体写真をいくらかましなものに取り換えたいが、はかどらない。

2015年」4月24日、シリーズの仕事として、遮蔽体の被曝遮蔽効果を検討した、身近なもので殆ど遮蔽される。金属は薄くても遮蔽するが、木材もそれに次いでいる。体の中では殆ど飛ばないと言う事がわかった。局所にのみ被曝するので、どこに分布しているかが重要になる。甲状腺でも甲状腺全体ではなくて、どこにどれだけという事がピンポイントで影響しているということである。その影響を線量を計算して評価することは出来ないであろう。出来ないことを前提にして、全ての放射線の安全基準というものが定められているわけだ。専門家は自分の頭で走るとこう言う事になるらしい。

2015年4月13日 大工仕事、ポータブル赤道儀の改造の話を掲載。

2015年4月5日 薄い木材やアクリル板で放射線が吸収されて泥のオートラジオグラフィー像が出ないことが分かり、検出していたものの多くはβ線である可能性が高くなりましたが、γ線もこれらの材料で吸収されます。スペーサーなしで試料とフィルムを隔ててどれだけの距離で像がぼけるかを検証しました。数ミリから拡大して検出困難になります。土壌中の粒子の接触した部位に被曝することは間違いなさそうです。

2015年3月6日 飛び入りの試料のオートラジオグラフィーを掲載しました。いわゆる放射線量の高い黒い土です。これをもとに内部被曝の計算が出たらめであることを論じています。

2015年2月5日 一連のデータをほぼ更新完了しました。福島県の降下放射性物質と、空間放射性物質の研究が福島県のボランティアの方たちによってもすすめられている。危険性の高い空中散布放射能が検出されるようになった。人々を危険にさらして、これらには対処のしようがない。
2015年2月3日
滞っていたデータの更新中です。相変わらず、南相馬市、川俣町の悲惨なデータを掲載しました。
これが安全であると言われている地帯です。誰も影響を予測せず、誰も責任を取らず、相変わらず個の地震地帯に原発再生を掲げています。これが人々と地球の安全なのでしょうか。これが民主主義や、政治なのでしょうか。

2015年1月27日
滞っていたデータの更新中です。相変わらず、飯舘村の悲惨なデータを掲載しました。


2015年1月23日  滞っていたデータの整理が完了したので続けてuploadしています。夢の島の福竜丸展示館にもあるように、何年も先に多くの方が癌で亡くなっているにもかかわらず、一切の因果関係が問われることは無かった。また同じような環境汚染を見ると、同じことをやっているように見えます。それほどアトムに人々は引き寄せられているのでしょうか。人間とは異次元の世界と言う事をどのくらいわかっているのだろうか。
2015年1月22日 昨年の土壌採取からほぼ1年を経過した沖縄の測定結果と、東京夢の島公園再訪時の測定結果をまとめました。夢の島公園の汚染は以前から指摘されているとおり、高かったのだが、土壌の表層の観察から、既に除染された後と思われた。除染後でも雨水による流動化で再度、離合集散して放射能があちこちに蓄積されているようだった。当分このような痕跡を見せつけられるだろうが、それらが何重にもやってくるだろう。すでにそのことは地上で起こったいくつかの出来事で証明されている。

2015年1月10日 あれからほぼ4年経過した。放射能の痕跡を求めて歩いているとこんなところがこんなに汚染されていると驚きの日々だったが、表向きは静かになっていても現場では何にも解決されていない。だから、放射能の痕跡と思ってしまう。嘗ては恐れていたトリチウムもいくら環境にまき散らしても何ら心配ないという風潮になり、ますますその方向へと向かいつつある。

2014年11月26日 10月末福島踏査のデータの整理がやっと半分終了して、わずかな風景画像についての考察をまとめました。福島在住の人々の心労を思う次第です。復興と言う名のトラックが走りまわっています。景気が良いことは良い事だと。原発景気がよみがえるよう、原発の再稼働が勧められようとしています。誰もこんな風景を見ていないのでしょうか。

2014年10月15日 もう1つ困った、天体観察の道具として、ソフトウエアの不具合がある。一見、良さそうな望遠鏡のコントロール、カメラコントロール、望遠鏡の自動ガイドと言う仕事をプログラムしてこなして、記録する。眠気をカバーしてくれているのですが、執拗な位置ずれに悩まされていました。驚くべき理由でした。座標の分点を基準の2000年にしているのに、現在座標として位置を再計算せずに導入に使っていたのでした。会社も最新版で気づいたようです。

2014年10月11日 星の撮影に使っている冷却CCDカメラが狂っているという事態に遭遇し、いかに補正するかと言う事に決定打がない事態を手探りで探索中していました。望遠鏡とカメラの取り付けアダプターの間に、360度の全周に方向を表す目盛りを付けて、3点ではさみモノをして傾きを変えるという原始的な方法で、最良点を見出す方法を採用ました。傾きを変え取り付け、再び星を狙い撃ちしながら結果を見て結果を確認しました。ずいぶん傾いているものだと言う事がわかりました。品質管理の悪さに驚いた次第です。

 ライフル用のドットサイトを使うと素早く星が狙い撃ちできます。戦場に人を撃ちに行くよりは害がないのですが、これからはまたそういう時代になるのでしょうか。

 放射能で汚染を取り巻く状況はわたしには、気の滅入る方向です。甲状腺癌が放射性ヨウ素による内部被曝の結果であることさえなかなか分かってもらえないと言うのが身近にあり、何を言わなければならないのか方向性はあります。そのような状況で、ヨウ素剤を福島の人々に配布しないで、隙間風のある普通の家に閉じこもり、外に出るときはマスクを着用などと言っていたのは政治家だけでなく、福島に行った専門のお医者さん達です。東京の気密のピカピカの建物の中に住んでいては田舎の人の事は分からないのです。家の中を風が吹くと言う事を知らないのです。

2014年9月30日 検索の移行が完了しているかどうか心配になっています。放射能の検出にかかわる考え方、安全性の考え方。被曝をどう考えるかという視点と、オートラジオグラフィーで見たことと、相いれない。実際にミクロの世界での被曝はこうなっているという考えが、工学屋さん、物理屋さん、保健物理等の方たちにない。結果は空しいものだ。気力が失せる。

 星の撮影に使っている冷却CCDカメラが狂っているという事態に遭遇し、いかに補正するかと言う事に決定打がない事態を手探りで探索中です。

2014年9月4日 突然、PageOnがサービスを中止するとのメッセージが入り、移行作業を行っていましたが、何とか終了して終わりの日まで片方を置いておきます。

2014年8月2日 除染を行っている地域の汚染の程度は非常に激しいものである。γ線だけでなくベータ線も検出される。残念ながら、ベータ線も同じように安全だと言う所に世界的な詭弁がある。

 梅雨の日々望遠鏡の検査を行って駄目な実態、光軸調整について掲載した。

2014年7月18日 オートラジオグラフィーによる環境の放射能汚染の形態を見ると言う事に興味を持っていただいた方に感謝しております。なかなか、重い足取りで、仕事が進みません。それでも方法論についての問題があったので、改めて、オートラジオグラフィー試料の取り扱い、作成方法を改めているところを紹介しました。

7月4日 除染の風景を掲載します。このような除染と、前回の測定データを見ると、除染された場所への放射能の移動が起こっていることが分かります。

2014年6月17日  4月末の放射能の測定データをやっとまとめました。福島の民を守ってくれているのでしょうか。民を保護すると言っているのは、昔からのセリフのようで1894年に朝鮮の民に対抗して、我国民保護ノ為兵隊ヲ派遣セントスと言っていましたが、いま、民を放射能から守っているでしょうか。福島の土地を放射能から守っているでしょうか。

2014年4月20日 人形峠のアトムサイエンス館に、原子力は素晴らしい未来のあるエネルギーで人々の幸せにつながる技術だと言う事が、いまだ展示されています。
 福島の復興とは危ないという事を考えないようにして、
人々を元通り住まわせるという方向のようで、ますます加速されています。ここで見てきた危険の訴えはそれに反しているようだと感じさせるものがあります。先月書いたことと同じ事になります。

2014年3月18日 放射能は素人でも検出できるので少しでもモニタリングしてみなければならない。点と線でたどっていただけでは全体の事は分からない。全面に放射能はまき散らされている。出来るだけ多く測らねば、全体の事は分からないだろう。残念ながらこのようにはなっていない。
2013年10月の福島県いわき周辺から阿武隈高地の分析結果を約半年遅れで表示することになりました。これまでの結果と同じように、意外な場所に汚染が広がっているということが読み取られます。結果と反対に、政治的には終息と言う指針が出されているようです。アメリカの新聞でもNew York Times 2014年3月16日事実を公にしないで、世の中を沈めよとする方向だという圧力がかかっていることが分析されています。

2014年2月13日 放射能は安全であるというお祭りが、ラドン温泉、三朝で行われている。関連した旅をして、試料を得たので公開しました。静かな田舎の中にこんなものが依然として存在しているのが驚きです。放射能の痕跡を周辺の泥から検出できます。しかし、福島県とその周辺、関東地方の汚染はもっとひどいものだと実感することが出来ます。安全神話の神殿についてはまた別の日に。 

2014年2月5日 人々の生活圏の小さな生き物たちは放射性降下物の影響をどのように受けているのでしょう。植物の中に取り込まれるセシウムの量は数十から数百ベクレル、土壌の放射能はその10倍から百倍あると言う福島と関東の福島側の環境で生き物たちはどうなっているか。
ふとしたことから、ベニシジミの変異を見たが因果関係を私が議論することは困難だが、これで安全と言って良くもない。
2014年2月1日 天体撮像用に使っているAstroart5のスクリプトプログラムのエラーを訂正。

2014年1月19日 野外調査データの整理をして、これまでの不十分な表記を全体として直していますが、まだ不十分だとは思います。白河とその西の西郷村の汚染を改めて認識しましたが、小学生も中学生も何もなかったかのように野外活動をして、先生たちも安心だと言っているようです。私たちの姿勢はやたら不安を引き起こしているだけと言われかねません。こういう仕事は、なかなか難しいです。しかし、かたく吸着した汚染はいつまでたっても残っています。植物の生きる地下はどうなっているのか。小さな生き物の浴びる放射能はどうやって計算しているのか。疑問が残ります。

2013年12月27日 失望すべき社会的雰囲気が続いています。空の方も12月の冬型気圧配置は曇りがちで不安定な天気で星空が冴えません。中国や、日本の産業社会の大気汚染が深刻で霞んだ空が続きます。そのような中で、星空プログラムを作っていたので掲載しておきます。

 福島県中通りと言われる地帯の放射能汚染は快適ではありませんが、知った人たちが福島県の白河天文台を引き上げてしまった理由に、放射能も上げているには納得できます。本当の言葉があると思います。南半球の方が空気は澄んでいますね。

2013年11月29日 いわき、広野町 楢葉町 石川郡 平田村 石川町、玉川、浅川、古殿 東白川郡の鮫川村、塙町、矢祭町、棚倉町の測定をしながらの旅の後、データをPC上からアクセスデータベースを使って処理するなど、記録の強化に努めていました。相変わらず人々の生活圏にγ線が検出され続けて復興と帰還の勧めの中での測定は、何をするものかという雰囲気があります。
 再び、安全神話が作られている風潮となってきました。

2013年8月29日 6月採取の福島県会津地方から栃木県境にかけて放射能の痕跡を求めて探索しました。以外に広範に、γ線が検出されました。自然放射能より高ければ、オートラジオグラフィーで自然放射能とは明らかに異なる分布が観察されます。地上線量の測定だけでは明らかに出来なかった微小な分布の様式、分布の形態と言うものが見えてきます。これはまた、被曝の形態を見ることに通じてきます。人工放射能の分布と言うものです。

2013年7月9日 ガンマ線スペクトロメトリーではセシウムが山口でも民家の庭泥からも検出されます。これまでの航空機モニタリングや、飛散予測からも当然の結果のようです。いかに広範に放射能が拡散するかが分かります。その影響があいまいなため、無視されてきたという歴史があります。1950年代の原爆マグロの例です。今も変わっていません。とりあえず古本を集めて研究しょう。
2013年6月27日 東京の人口密集地帯でも放射能が検出できる事は以前から報告されています。オートラジオグラフィーでも依然として検出できます。放射性物質を含んだナノメートル単位の粒子が飛散して多くの人々が被曝したと想定されます。被曝の意味についてはECRR2003報告における新しい低線量被曝評価の考え方等を参考にして考えたいと思います。

2013年5月10日 東京、千葉再調査のオートラジオグラフィー結果をまとめました。地上線量率0.1μシーベルト時前後の測定結果であればフィルムオートラジオグラフィーで微かに検出できます。イメージングプレートと違って自然放射能を背景として検出できる事は、これまではありませんでした。無いところには無いというのがこれまでの結果です。そうして考えると、イメージングプレートで撮影した、花の水仙のK40放射能画像を、文部省が作らせている放射線副読本に採用し、もっと容易に検出できる汚染地の植物のオートラジオグラフィー写真を見せないというのは、レベル(量)の違いを無視しているのではないでしょうか。自然放射能教育は行きわたっているようです。

 やっと黄砂晴れの空を見ることが出来ましたので、大彗星と騒がれたC2011L4を観察できました。
2013年4月29日 ページ上2013年8月となっていた部分(ミス)を2012年8月に訂正しました。データ完成までに時間が半年ほどかかりました。
2013年4月23日 2012年8月に回収して、サンプル処理、撮影した土壌オートラジオグラフィー・データをやっとまとめました。、
2013年4月20日のアースディ瀬戸内、光市虹が浜海水浴場で予想通りの雨、風の中、環境の事を語りながらこのページを作っていたことを考え、写真展示をしました。寒さと、砂まみれ、濡れながらの設置と撤収は意外に当たり前でした。
2013年4月9日 オートラジオグラフィーフィルムを使ったデータが出るようになりました。感度よりもノイズが少ないという印象ですが、結果として感度が上がった印象です。植物に取り込まれた放射能のデータを更新しました。
2013年3月8日 星空を眺めていると、空気の状態は相当良く分かります。天気予報には表れない空の状態、空気の中の混ざり物がどうかという事を観察できます。空気の中を何がどう伝わっていくか想像できます。大気汚染がどこからどこへ広がるか、黄砂の広がりも地球規模です。核実験も、原子炉事故も同じように広く拡散していきます。こういう事について残念ながら天気予報には期待できません。しかしまた、公の放射能測定もきれいごとになっているようですが、いまだ関東地方の汚染は深刻でした。それを呼吸器に吸い込んでしまった多数の庶民がいることを忘れて、原発を使って、懐を温めようとしていますね。
2013年1月26日 山口市は雪が時々積もります。なかなか寒い日が続きます。天体撮影には良い条件ですが晴れ間を見つけることにも苦労します。
 市販白黒フィルムを使って放射能汚染の検出の仕事をして、驚きの放射性の感光を検出しています。密着して露出して黒化度の強いことが分かり、どういう意味があるかという事を今回は考察しています。被曝モニターに使うフィルムバッジでもこれほどの感光はないでしょう。密接すると健康上有害な被曝がかあると思わせる結果です。前回のどう考えたらよいかという自問に対する自答です。

2012年12月28日 フィルムを使って放射線を検出するオートラジオグラフは感度が高くないので、簡単ではありません。しかしそれでも、東北から関東にかけて、土壌中の放射性物質が検出できます。数グラムオーダーの試料から検出できるというのですから、感度は馬鹿には出来ません。(矛盾した表現です。)放射能の影響も無視できないものだと思わせます。このように、放射能が検出される現状をどう考えたらよいのか。

2012年11月20日 フィルムを使って放射線を検出する、植物のオートラジオグラフは感度が高くないので、簡単ではありません。落ち葉の様なものは表面に高密度に汚染が付着していて、検出できます。植物体のカリウムが検出できると言うほどの感度はないのです。汚染が進むと、根から植物体に吸収された放射能が、茎や葉脈の様な導管系に沿って検出できるようになります。今回それを見ることが出来ます。


2012年10月5日 今年の東日本の夏は暑かったと、日々、天気図を見て考えましたが、実際、行ってみると暑くて疲れました。その測定結果を示しました。なんでまた、と思いますが、疑問に思ったことを自分で確かめようという事だけです。『どんなもっともらしいことでも、一度疑ってみて、実物についてその確からしさを見届けた後でなければ納得しないというのが科学する心がけではないでしょうか。』と戦前、1941年に伏見康治さんが図解科学の最初に書かれていますが、そういう書き方が子供向けの本には蔓延していたかもしれませんが、今はどうでしょう。(再発行版、2008年丸善、光る原子、波うつ電子で読んだ。)

2012年8月7日  前回超新星と書いたとおり、今回は超新星をuploadしました。
2012年6月23日 数千万光年という距離から到達する超新星の光を捉えることが出来ます。光量子1個に迫る効率のCCDを使えば、空間からその光のエネルギーを検知できます。あまりにも遠くで、見えるとはいえなものです。同じ様に微小で見えないはずの、原子も放射性であればそのエネルギーを捉えることで、検出して、フィルム上に見せてくれます。どんなに薄めても見えるということになります。また続きの福島県土壌や植物の放射能データを掲載しました。超新星は後日。

2012年3月11日 なぜか、この日に追加分をupload、福島の旅で考えたことを述べてしまいました。

2012年2月17日 Interenet Explore以外表示の不都合がある様で直しています。それに、方法論的不十分さがあるのでそれを追加しました。結局のところ、汚染の実態を視覚化するために汚染のオートラジオグラムを多くの方がやってくださった方が良いのだと思います。誰にでもできる様になったかどうか分かりませんが、現像することや暗室内で手探りでいろいろするのは手品みたいなところがあります。
ガンマ線カウンターでホールボディーカウンターと思っていても、本当の内部被爆は検出不能といってよいものだと思います。オートラジオグラフィーで線種の判定は出来ないと結論しました。厚いアルミ板で遮ると画像が拡散すると判断しました。微小な放射線源でしたが、アルミ箔くらいは簡単に透過します。しかも、ガンマ線カウンターでもほとんど分からない量を使っています。

2012年2月9日 暗くて、寒いほど良いと言うので、−2℃と云う少し寒い気温でじっとして天体写真を撮っていると、凍えそうになります。このまま眠れば遭難しそうです。

先月に記録していた懸念の放射能のフィルムでの検出の結果を示すことが出来るようになりました。予期に反して、フィルム上で累々とした感光が見つかりました。これが生き物にどういう影響を及ぼしていくのか、考え込まざるを得ません。

2012年1月2日 星がいつ見えるかがある予報でよくわかるようになりました。これは
http://www.jamstec.go.jp/frcgc/gcwm/jp/index.html
の様な、大気の状態の指標が分かるようになったからです。人が加わった、地球規模の大気汚染が予測できるからです。人の活動について考えないといけないのです。もう1つの人の活動で困ったことは放射性物質による汚染です。化学の常識と、原子のレベルの常識とが全く人の想像をかけ離れていることを忘れて、一緒にしているようです。

20113月6日 新たな記録をしないままに、短い時間は去っていきました。用意しているうちに、オリオン座も沈みかけてきました。まだ、良いかと、オリオン座のデジカメ写真を掲載しました。周囲の明かりが強くなり、山口市街地ではなかなか難しくなりましたが、今や、山口市の領土は拡大され島根県に接するようになりましたから、市内といっても空が相当暗く、星のよく見える所もあります。だが、山口にたどりついた人々は、暗い田舎といいます。困ったものです。夜は暗くてはいけないか?

暗くて、寒いほど、星の撮影には良いのです。パソコンのディスプレイにも霜が降りてきます。

2010 4月25日 川の中を見ていると、田舎の川から魚がいなくなったことが分かります。川で何が起こったのでしょう。幼少のとき遊んだ川に魚はいなかったのです。魚とともに泳いだのは昔のことでした。というような面が、目に付きます。

2010 2月11日 真実はそれほど都合のよいものではないと、不都合であったと、アル・ゴアが書いていました。真実は知らぬが良いと、教育的配慮であると言われた、私たちの知らないことが多いです。川の中を見て歩きまわると、魚のいなくなった場所が多くありました。そのことを、取り上げました。星空が見えないと言うだけでなく、水の中も変わってきたのです。

2009 12月31日 大病を患ったか、どうしたか。長年不明になっておりましたが、やっとこの地に回復してきたのでした。というわけでもなく、なぜか長期に放置が、また起こったのです。熱意がそろそろ冷めてきたか。人間社会が、面倒になって、モノを言わなくなったか。近所の空もアパート建設で、うっとうしくなってきました。戻ってきたが、星の話でなく、猿の話をとりあえず掲載。

2008 5月25日
まだ、いらっしゃいましたか。といわれそうな。放置した状態でしたが、既に、数ヶ月前、作成しておいたものを、アップロードしておきます。相変わらず、星は苦労してみなければなりません。改善の傾向はないようですが、温暖化のほうもますます大変で、人の存在を脅かしそうです。

あれから、空が澄んで、相当よく見える日々があったのですが、その画像をと思うのですが、それほど立派なものはありません。




2007年8月31日
 星が見えません。晴れても、霞んでいます。暑いとき、太平洋高気圧が太平洋の空気を運んできたときは晴れました。しかし秋の気配がしてくると、大陸の空気が入ってくるためか、空がにごってきます。日本の周りの空気を自分たちも汚しているのですが、大陸の濁りは大きいようです。これほど暑くなってはやっと温暖化などというようになりました。どれほど本気で言っているのか問題ではあります。

 合併でなくなった厚狭郡楠木町の田んぼの中で見た空を紹介しました。今は宇部北部なのでしょう。


2007年6月17日
 前回記録した、移り変わりに追われて、多忙なため、撮影の時間が取れない日々と、大気の状態が悪くて、撮影できない日が続きました。それは言い訳で、撮影は出来るのです。それにしても大気の状態が悪く、快適な青空はまれになりました。このごろになってやっと、温暖化対策といっているようです。山口にもこれまでの町並みを覆ってしまうような、マンションが建つようになり、視界もさえぎられ、明るさも更に増してきています。
 いずれの写真もデジカメのみのお手軽な撮影でした。

2007年3月5日
 地上の移り変わりも、身の回りの人の世の移り変わりも日々進んでおりますが、宇宙の変化は時間のスケールが違いますが、めぐっているのが分かるかどうかというくらいです?

 闇の空はありませんでしたが、明るさを差し引きしつつ、オリオン座を撮影しました。

 晴れの天気というのは、あいまいな晴れとでも言いたくなる天気です。遊ぶのには支障はないでしょうが、きれいな青空が見られる事はまれです。これはここ数十年の変化ではないかと思います。そういってよいのではないかと思います。風が吹くか、雨が降るかして、このあたりの空気を吹き飛ばし、洗うとかなりきれいな晴になります。そういう日でないと、なかなか重い晴れで、透明度が気になる空です。不透明とでも言いたくなる空に、地上の灯が少しは到達し、徳地でも、阿東町でも、トクサガ峰でも、白っぽい夜空です。私は殆どきれいな空を忘れてしまった様に思います。

12月8日 山口市街からの画像を掲載。

ある11月の日、秋の空といいたいところですが、何十年ぶりかのふるさとは星も見えがたく、空気も霞んで、かってのような紅葉の山のスケッチとは行きません。太陽の光も元気がありません。都会ならなんでもない変化ですが、こういう山に囲まれた場所が霞んでくると相当にウットウシク思います。

空気の濁りは粒子汚染と結論してよいでしょう。環境影響などといっていますが、何より先に景観がおかしくなっているので、気づいて欲しいものです。

一部分、フラット画像をまじめに差し引いています。


06/11/04 天の川の撮影画像を掲示しています。街中では見られない天の川の姿を見ようとあちこちの路傍にとどまり、カメラを向けています。今回は、山口市街から25Km、萩市街から10Kmの旧福栄村です。山口県ではどこに行っても、街の光りが空に達していることが良く分かりますが、それでも、天の川がはっきり見られます。宇宙に眼を向けるには街の光りと、霞んだ空が依然として、問題です。

06/09/24 まとまっていなかった、夏に撮影された市街地の天体画像を掲載。

06/09/11 2ヶ月前からやっと一部更新します。梅雨が明けると、連続晴れ間の時期がありましたが、その後、暑いだけで、あまり好ましい透明な空はありません。相変わらず、不透明な空気の日が多いのですが、これほど、星は見えないものかと思いました。日常から次第に星空と、人が離れていくようです。

天の川は、広い視野の撮影のデジカメ写真を近郊にて撮影、掲載しています。山口での空の状態では、市街地からの距離が空の暗さと密接な関係があり、街の規模にもよりますが、市街地から均等に離れていることが空が暗く、星が良く見えるためには重要そうです。小さな町でも意外に空が明るくて、思ったような空の暗い地点はありません。空が暗いということと星が良く見えるということの関係もなかなか理解してもらえないかもしれません。なぜかプラネタリウムが、個人用に売れる世の中です。プラネタリウムも、撮影した写真も、無限遠という距離感は、ありませんが、実際に星が見えると、その距離感と宇宙の大きさが少しは感じられます。

06/07/10 天候不順という状況は、言い訳のように続いています。雨の降らない日の3分の一は天体観測をしていた伊能忠敬のような勤勉、迫力ある方とは違います。比べるべきでもありません。5月半ばからの寄せ集めを取りまとめています。相変わらず、日本海を低気圧の回廊として、嵐がくり返しやって来ております。

懸案の良いフラット画像も出来ていないので、ダーク画像のみを差し引き処理しています。

再び天の川にお目にかかるようにはなっています。

天の川にどれだけ、近さを感じるか分かりませんが、銀河宇宙というものを意識すると、この近傍にある、局所銀河が、マゼラン雲などさらに遠くに行けば、アンドロメダや、三角座銀河がありますが、先月に続いて、近い局所銀河、M54(いて座矮小銀河)を掲載できました。

06・5月10日
 3月末から1ヶ月の天候不順の後、何とか撮影。相変わらず、日本海を1週間ごとに嵐が通過して、黄砂と交差してなかなか良い条件に恵まれません。山口は盆地でガスも停滞しています。それでも水平線近くに、ω星団を見つけましたが、肉眼では全く見えませんでした。

 天の川銀河を通してみる、外の銀河は、春にはたくさん見えています。銀河の星に邪魔されないためでしょうか。近くの淡い銀河、Leg Iが何とか写っているのですが、見えないといわれるかもしれません。

CCDを清掃した後、画面のムラが減少したので、画像から、光を当てた状態のフラット画像を差し引かなかったので、周辺との光度差で、醜い画像になりました。

3月28日は泥混じりの雨で、次から次へと、泥が窓の端を伝わって流れるのが見えました。黄砂でしょう。あれだけ雨が降っても、今朝も空はにごっています。気象庁の昨日のデータでは西日本と、朝鮮半島で黄砂が観測されていました。気象庁のデータがあるときは泥のように落ちてきますが、観測データが無いときは、星の観測が困難と言う程度なので、市民には関係が無いようです。

黄砂はどこからやってきたのでしょう。bai [ba!i]
n. 砂塵あらし, 黄砂 《中国内陸部の黄土地帯で吹き上げられた砂塵が天空をおおい, 徐々に降下する現象; 春先など中国東部や日本にしばしば風で運ばれる》.[Chin. mai (霾)] (研究社の辞書よりコピー)

中国で、人間が数千年、環境を変え、表土を露出してしまったためでしょうか。遠くから観測して、黄雲の発生が見えるのかどうかと思います。


2006年2月19日 街灯り、月明かりでも、かすんだ空よりはましと、空が晴れれば、澄んでいれば、朝も起きられるほどの夜勤を続けたいと思いつつ、晴れると疲れる仕事です。山口市が広範になり、星を見るべき場所が山口市に入りました。撮影結果でも、かなり良い空ですが、町明かりは空中微粒子を発光するように、照らしてしまい、どこから見ても、明るい空は消えないことが分かりました、地平線上何度以上に明るい空がないようにするためには、街から何キロ離れればよいと計算すると、山口県では本当にきれいな夜空と星はなかなか見られません。広大な、人口密度希薄な空間のある、大陸へと出かけるのでしょう。

数億光年の距離の銀河といえば、そのくらいの過去のもの、あちらから見ても、それほど過去の地球があるとすれば、私たち人間は、全く存在していません。不可思議の空間と、時間です。

2006年1月9日 山口を少し出て行くと少しは星が見える場所があるようです。しかし、寒くて、せいぜい近くの吹きさらしの場所で星を見ながら撮影しています。晴れ間が少なく、雪、霜に悩まされますが、気温が低い分、カメラのノイズが低減していますが、街明かり自体が、ノイズで画像を悪くしています。
2倍テレコンをつけて人面星雲、エスキモー星雲を月明かり、町明かりの中で撮影できました。良い画像にはなりませんが、私も撮りましたと言う程度でした。

11月28日 町の中、といっても山口の明かりの中なのですが、いまだ星は見えるといいつつ、デジカメ撮影をしているのですが、きれいな写真にするのはかなり難しいです。特に大きな範囲を写そうとすると、絶望的ですが、それでも年に数回は天の川が何とか写るという程度のことがあります。明るい事は繁栄だということで、干渉することが出来ない状態です。行政も率先して、明るく、にぎやかにしようとされていますが、一方で環境を大切にとか、傷ついた鶴をもらってきて、そこにいるようにするとか、不思議な環境政策です。

鳥は、夜に空を渡っています。丁度、人間が夜襲をかけるように、敵に見つからないように夜に移動します。鶴も夜に飛んでくるのではないでしょうか。星を見ていると、野鳥の飛来を見ます。明るい場所を好んで飛んでいるとは思えません。これから増える人間の酔っ払いとは違うようです。

 天の川を暗い空で撮影して、散光星雲が、それほど赤く写っていないということにやっと気づいています。赤の感度が、普通のデジカメでは上がらないようです。それで良いとしても可です。赤い光を出しているらしい事は赤外感度のあるデジカメで、見せていただいております。普通のデジカメでも、かすかに赤く画像が浮かび上がるのですが、画像処理しても、それほどくっきりと散光星雲は撮像されません。

徳地からは宇宙を垣間見ることの出来る暗い空があります。それだけでなく静で、山間部にはオシドリなどを見かけます。宇宙の中で、銀河、太陽系、地球の辿ってきた路、人間のやってきた路を見ることが出来るように思います。大原湖周辺にはまだ出かけていませんが、仁保の周辺にも天の川の見える場所がありました。改めて、天の川の雄大さを見ていました。



11月2日 晴れると夜勤が多く、多忙でホームページに調査した記録は入れられず、はるか昔の記憶を頼りにやっていると、常識を疑われるミスが多発しましたが、直していきます。
11月1日 さらに遅れて、先月分をアップロードとなりました。あれから10月はスズメの声が注意していると聞けました。窓を開けて、音源なく走っていると、聞こえてきます。姿はなかなか見かけません。減ってはいますが、まだ生存されています。トンビはさっぱり見なくなりましたなどと考えます。

 夜空のほうも、星が減ってきましたので、なかなか肉眼では楽しめません。これらを楽しむという範疇にはなかなか入れてもらえません。

10月は月明かりがありましたが、晴れた日が多く、出動回数はかなりの日数になりました。そのため、撮影用のCCDは水分を十分吸って、ついに結露してしまいました。霜の影から星雲が写り、森林ではなく、霜の、シダの葉のような影から写ってしまいました。山の影から星雲が写ったとつかの間喜んだものです。

9月29日 さらに遅れて、当月分がアップロードされます。今月のぼやきは、スズメがいないことです。田んぼにスズメの姿が少なくなり、追っ払おうとする必要がなくなったのです。案山子やスズメ脅しの、ドンという音を聞かなくなりました。車で走っていると、注意深く耳を澄ませば声を時に聞きます。時に夕方、木に集まって、優しい声が聞かれます。町には出現はまずほとんどなくなりました。また別のページに掲載します。

市内の光源がまた増えました。今度は、またも、市役所系です。白石公民館で、四角なコンクリートの建物なのですが、誰もいなくとも周りからたくさんの水銀灯で、照らしています。

8月26日 8月撮影データ整理が追いつかず、やっとのことで、アップロードします。同じく暑さに悩まされ、冷却のCCDカメラの調子が安定するのに時間がかかります。わずか数日の晴れの日に短い撮影時間をとっています。地上から星がきれいだと思う日が余りありません。これでは星を見る人が少ないのかどうか。撮影機械のほうだけはよくなっています。同じようなものを見ているのか、昨年の解説を引用した部分も少なくありません。

晴れていても、大気中の微粒子の証明による輝きが、広角レンズで捕らえられるようになりました。鋭敏な環境指標のようです。


7月28日 梅雨が明けて、1日満月の中の撮影データを掲示しました。気温上昇のため、機械の冷却温度が変わって、データの取り直しも必要になり、背景処理がきれいにできません。機械のガタは追跡を甘くすると、何とか克服できそうです。空がこれだけ明るく、これだけ星が見えずとは思っていませんでした。説明書きのほうは、天体物理を勉強しないと、分かるようにはかけません。

7月某日 。
青くない空を見ています。青空なんて珍しいのですが、こんなに白い山の遠景でいいのでしょうか。こんなに星は見えないのでしょうか。これではまるで地球に閉じ込められたようです。

東、東南アジアの気候が変わってくるというのは実は現実のものとは認識されていないのでしょう。衛星データではこのあたりにはかなりの微粒子の分布があるようです。黄砂がいつまでも続いているわけではなかったのです。環境基準の1立方メートルの空気の0.1mgの微粒子で1年間の吸入量は概略2.5gの微粒子量になりますから、何年もすれば肺は真っ黒というのが環境基準と考えてよいのでしょう!! それに星が見えない、遠景が見えない、山がきれいに見えないという立派なデータは考慮されていないようです。


6月17日 さらに追いつけず、6月のデータの更新をします。なかなか、星を見るほどの晴れ間が少ないのでしょうか。望遠鏡という重たい道具の繊細な運転はなかなか難しく、ちょっとしたことでエラーが入ります。バランスをとりすぎても具合が悪いようで、遊びがあるなら、どちらかにバランスが移動しているほうが好都合なのかもしれません。クラッチ機構がないのが、機械に無理がくる原因なのかどうか。今回は憧れのS暗黒星雲を捉えることができました。天の川が見えると、私たちも渦巻銀河の世界にいることが分かるでしょうか。この季節、蛍も星空を背景に飛んでいますが、掲載した写真にはちょっと蛍を識別できませんでした。


5月12日  2005/5/12 データの蓄積はなかなか追いつかず、月半ばになり、やっと更新しています。オーストラリアには行けず、近くの暗い場所との比較データを載せています。町を離れれば、まだ暗い場所がかろうじて残っていますが、野外活動の宿泊の点灯でまぶしい光ですが、町の光の量に比べれば少ないものです。小さな町といえども、十分空を照らして、どの方向を見ても地上は光っています。

明るい事は良いことでしょうか。消費が増えて、経済が繁栄していることなのでしょうか。地球の寿命はいつまでか、計算できるでしょうか。多くの地上の生命がヒトの決断に依存しているようです。

身辺を脅迫されており、なかなか落ち着いた時間が取れないので、最近は同じ調べ物を使っているところがあります。

4月17日 最近も少ない晴天の日と日常のため、データの蓄積が間に合っていませんが、少しの画像データを下に、最近の星空の事情を掲載しました。明るい星空の事情を見ることも、自然と宇宙の認識のために必要でしょうか。それらも、人の現実認識の1つのつもりです。

最近の経験では山口の天体観測的晴天日は1ヶ月数日ですから、指定した日に集まって、観望会をしても、そのような観測にふさわしい晴天に出くわす可能性はきわめて低いので、予定に追われているお子様たちに星を見てもらうことなど現実的ではないようです。やはりプラネタリウムという仮想現実に生きることになるようです。

暗い彗星は何個も散らばって太陽の周りを走っているようです。いろんなものが回っているようです。ロケットで狙い撃ちをしようとしているのですが、あまり穏やかには見えません。計算された軌道をインターネットで自動的に落として、自動的に表示し、自動的に視野に導入するという、簡単、怠け、自宅、実物プラネタリウムの間接観測です。

3月13日 
なぜ星を見るのでしょうか。
EXPLORING IN THE VIRGO CLUSTER. In small telescopes none
of the members of this galaxy cluster are visually impres-
sive; they appear mainly as pale little patches of light,
round, elongated, and irregular; even the brightest members
are not brilliant or striking objects. It is the knowledge
of the actual nature of these glowing spots that compells
the interested amateur to return again and again to the
Virgo Galaxy Field, to observe and contemplate a celestial
panorama surpassing the highest flights of human imagina-
tion. As a Japanese sage has said, "One must be open to the
experience of the Ah! of things.." Here in the Virgo Cloud
one may gaze upon the radiance of a hundred vastly remote
star cities, twinkling across the millions of light years.
Thomas Carlyle might have had such a panorama in mind when
he wrote:
"....but is it not reckoned still a merit, proof of
what we call a 'poetic 'nature', that we recognize how every
object has a divine beauty in it; how every object still
verily is 'a window through which we may look into Infini-
tude itself?

馬鹿なことをやっているためか、なかなか世間並みの儲けにはなりません。

星空を作ります。

空が白くて、遠い銀河世界も地上の光をかぶってしまいます。地上光に似せた光を差し引くと、案外かぶりが減少して、少しは立派な暗い夜空らしく見えてきます。地上光のかぶりは、望遠鏡の口にTシャツを掛けて、ぼんやり白く見えるシャツを望遠鏡を通して撮影しこれを暗い夜空と見なして、このシャツ画像を引き算するのです。途中のホコリ画像なども、ついでに差し引かれて、清掃化された画像になります。それぞれの画像から、暗黒ノイズも引き算してしまいます。暗黒ノイズは、真っ暗闇でも高感度の電子回路に入る雑音で、昔のラジオのジージー、ザーザーという音のようなものです。このノイズの中には宇宙から来た宇宙線も入っているかも知れません。そのような、人工的にコンピューターで計算された夜空なのです。

2005年2月12日 北の空にマックホルツ彗星C/2004Q2はまだ見えています。次第に北極星の側に向かって、当分見えそうです。街の空でも微かに分かりますが、双眼鏡で見るとはっきりします。概観で撮影したとおり、街灯でなく広告塔の照明が増え、ますます難しい空になっています。


2005年1月10日

山口で15ミリの広角では、ISO800では10秒程度で、白く飽和します。市外のかなり暗い所へ行けば4−6分くらいは露出できます。そのくらいのバックの明るさで、感心できません。望遠にすると写るようになりますが、全体の緑色の感光があります。冷却CCDにするとー15℃でも相当いけます。横着ですから、フィルター無しのカラーにしています。20分以上の露出でも十分出来ますが、明るさに応じて時間をかけるという当たり前の結論になりそうです。結局、暗い所へ行く替わりにこのようにしました。暗いところへは天の川などを見るために気が向けば行っています。なかなかきれいな写真にはなりませんが、それでも驚きの念を持ちながら撮っているだけです。元々は、サーチライトに悩まされて、開始したのです。許される範囲の怒りだと勝手に思っています。

暗いところでフイルム写真も撮りたいのですが、重いものを運ぶという困難と、滅多に行かないで、どのフイルムがカメラに入っていたかいつの間にか分からなくなると言うずぼらさのため中断しています。 

宇宙は私たちの未来なのか、過去なのか、この中のほんのわずかな命と思いつつ、それでいて共同体のような感じが持てればと思っています。

今回の彗星の写真は1つは300ミリ望遠ですが、緑色の背景になります。フィルターを使いたいところです。もう1つは20センチ反射で、この方は冷却CCDで背景は変わりますが、空が明るいので、難しいところです。

2004年も終わり。

12月20日 晴れ間が数日続き、撮影が出来ました。量産品の反射望遠鏡で撮影しています。星の写っていないフラット映像をある程度差し引くことが出来、ゴミが減量になってきました。バランスをとるとガイドエラーを修正できるので、何とか馬頭星雲などを掲載しています。

この一年間、山口の空はいくつかの明るいライトが空に向かうようになりました。ライトアップ、イルミネーションと星の風景を比べて、星を選ばないという状態のようです。しかし一方で、山口ではありませんが、自治体の望遠鏡設備も増えてきてはいます。

11月28日 月齢16で明るい空で、撮影取材は出来ず、10月中旬の阿武町萩よりもやや北で、日本海に近い側、にて撮影した画像を整理、掲載しました。萩や北の港からの明るい光が低空の空を明るくしています。町から何十キロも離れていれば少しは空が暗くなり星空が輝いてきますが、田舎の空もかなり明るくなるのは町の光のためなのです。それにやはり空気中の微粒子の増加があるのでしょう。
11月12日 最近は微小粒子のため気象台の発表は晴れでも、太陽は力なく輝き、星空のほうは1等星がやっと見えるという状態が続いていました。その中で、前回から今日までの写真を載せています。お馴染の明るい夜空の元でのの撮影です。空のほうが星より明るくて、眼ではそのあく軽さに邪魔されて見えませんが、デジカメで、明るさを差し引くと何とか絵になる状態です。

10月5日 晴れ間あり、撮影。薀蓄解説を写真のほうにつけておきましたが、見辛いかもしれません。街の明かりが、一段と増えています。町の中でも見えるといって折れないくらいですが、街灯の下で、懐中電灯もいらないといいつつ、星を見ている方もあるようです。鼻をつままれても分からない闇夜はなくなりました。月が出ていなくても、町の光を受けた明るい雲が足もとを照らしています。

9月30日月明かりと、街明かりの中で撮影。 
9月1日 台風一過、気温低下、晴れ間に撮影しました。


8月6日 8時半 鐘の音の聞こえる時期になり、記念日が蓄積されていきます。台風が続けて去った空と花火の煙!を撮影しておきました。人々に縁のある空を観察しました。 

両生類の変態を観察しています。私の常識を覆す変化を見ることが出来ました。


 7月15日 山口市内 数日の晴れ間の夜景あり、一ヶ月ぶりの屋上夜勤にて撮影しました。ライトアップの取材もしています。地球は人だけのものでなく、歴史は人だけのものでなく、歴史は有史以前からあります。しかし新たな人の記念日が追加されていく日々です。

7月2日  7月の空を作成。元々6月13日撮影のデータを画像処理して、縮小し、掲載しています。散光星雲をたくさん捉えました。空気が澄んだ日は地上の明かりにもかかわらず、空はそれほど光を帯びずに星が見えます。もっと条件の良い場所ではさらに見えるでしょう。
これらのガス星雲はdiffuse nebulaと言う通称ですが、均一に広がった星雲という意味です。これらは私たちの銀河系の中の世界で、近くの高温の恒星の光エネルギーを受けて水素ガスが電離して励起され光っています。大きさは数十光年もあるそうです。これらは天の川に沿ってあるようであまり遠くなければ望遠鏡で見られるのでしょう。数百から数千光年の距離にあります。一番代表的なのはオリオン座大星雲です。これまでほかに見たものではバラ星雲です。星のゆりかごともいえるものでしょう。
 
ピント合わせように撮影した赤い色をしたさそり座のアンタレスはアレスというのが火星のギリシャ語でアンタは反という意味なのでしょう。この星は正真正銘有名な低温の赤い巨星で表面温度は3000度と測ってきたようなことが知られています。そして、全体が大きくなったり小さくなったり脈打ち数年もかけて光度が1等以上変化しています。

 台の上で、ネジ止めしていたはずの望遠鏡や、カメラは、少しずつずれたり、回転したり、ピンとも、カメラの重みで次第にずれて動いたりと撮影はなかなか大変でした。相変わらずぶれとピンボケの映像です。



2004年6月23日 

生命の系譜 過去から未来まで the Future is WILD ダイアモンド社より
 (これが正しい予測というわけではありません。それほど先まで正しく予測することは不可能ですが、何らかの先の見えないわけではないので、引用させていただきます。ヒトの位置づけを持っている事も、地上での共生関係には必要かもしれません。)地球や宇宙の歴史の私たちの日常を越えた時間の長さの中で全てが作られてきました。それぞれの種の命を作り出す時間の長さは、命の存在の大切さを教えているようです。


 地球はおよそ45億5000万年前に生まれた。最も初期の多細胞生物の化石が発見されたのは、地球誕生から40億年後 のベンド紀の地層からである。地球という惑星が宇宙から消滅するまでには、あと50億年かかると推定されている。

地質年代から見た生命の歴史
岩石や化石を調査研究すれば、地球上に起きた大事件を時系列に並べていくことができる。その結果、地球上の生物の盛衰の歴史が明らかになる。

〜6億年前
先カンブリア時代
先カンブリア時代は地質学的区分のなかで最も長い時代で、約40億年続いた。その間、最初の生命体である単純な構造の細菌が海洋中に誕生する。その後、光合成をおこなう生物が出現し、光合成によってつくられた酸素が大気中に放出されるようになったため、さらに複雑な多細胞生物や海生無脊椎動物が進化するようになる。

5億年前
古生代
多細胞生物は劇的な多様化の時代を迎える。原始的な植物や昆虫が陸上に進出する。一方、魚類型の原始脊椎動物は海で栄える。その後、軟骨魚や硬骨魚が海中で優位を占めるようになり、新たに進化した裸子植物が急速に陸地に広がる。古生代の終わりに史上最大の大l絶滅が起こり、すべての海生生物の90パーセントの種が滅びる

4億年前
中生代
この時期、新しい生物が爆発的に増える。恐竜が地上を支配する動物となり、最初の被子植物と哺乳頬が現れ、水生生物は繁栄を続ける。おそらく隕石の地球衝突が原因と思われる大量絶滅によって、この中生代も終わりを迎える。陸生の恐竜とほかの多くの種が滅亡する。

〜1億年前
新生代
新生代初期の湿度の高い気候のもと、生物は栄える。被子植物、哺乳類、昆虫などがみな地上に広がり多様化する。海洋では、最初の海生哺乳頬である初期クジラ類が進化していった。新生代の半ばになると、気候が乾燥し寒くなっていき、その後長いあいだ続く氷河期の前触れとなる 人類の祖先が出現する。

現代
人類の時代
人類の短い存続期間は、新生代の後半に始まりそして終わった。地質学的年代のほんのわずかの期間だったものの、地球に与えた影響は計りしれないほど破壊的なものがあった。現在から数千年後、氷河期がピークを迎えて気温が−気に下がるとともに、人類の時代は幕を閉じる。


1-2億年後まで 未来

人類の滅亡を招いた氷河期を生きのびた種はほとんどいない。大量縮減が連続して起きたことで、陸生・水生動物の非常に多くの種が地球から一掃される。消えた生物のなかには哺乳類、魚類、そして多くの鳥類がいた。しかし、こうした事態に進化は驚くべきやり方で応える。魚類は海を捨てて、空中へと逃げ込む。一方、タコとイカは陸上で優勢を誇ることになる。




地球の歴史上5回も起きている大量絶滅

 すべての種は結局のところ滅びる運命なのだ。時がたつうちに徐々に数を減らしていき、環境の変化と種同士のあいだでくりひろげられる競争の結果として、ゆっくりと姿を消していく。こうした自然の流れのなかに、時々、種が滅亡する確率が一挙に高まる時期がやってくる。生物たちが突然ごつそりと地上から姿を消してしまうそういった現象を大量絶滅という。この大量絶滅は、地球の歴史上通算5回ほど起きており、最も新しいところでは陸生恐竜の滅亡が挙げられる。それは一見したところ、すべての生物の被局に見える。数百万年かけて少しずつ進化してきた多様な世界が、自然の脅威の前にあっというまに壌滅してしまうのだ。しかし、たまたま生きのびることのできた種にとっては、絶好のチャンスが到来したことになる。すでに確立した生態系では、新参者が地歩を固めるのはほとんど無理である。新しく進化した生物にとっては、生きていくことそれ自体が厳しいからだ。ただし、大量絶滅の直後ならば、脇に控えていた新参者たちも繁栄への切符を手にすることができる。

 大量絶滅がたびたび起きたにもかかわらず、時が過ぎていくうちに、地球の生物の多様性はひときわ豊かになった。これは運に恵まれたからだろう。

目下のところ、人類は6回目の大量絶滅が起こる原因を積み重ねているところだ。これまでの大量絶滅は、気候の変化、火山活動や隕石の地球衝突などで惹きおこされたと考えられている。しかし、次の大量絶滅は昔のものと違って、無数の植物や動物の生息環境を侵食していった人間の活動の集積が引き金となる。人類は膨大な天然資源を消費しっつあるのだ。こうした人類の及ぼす影響に対して、地球がど
のように反応するかを予測するのは難しい。わたしたちはほかの種と同じように絶滅するのだろうか。あるいは人類は、別の惑星に移住して絶滅期を乗りきるのかもしれない。または、自分たちが汚染した空気でも呼吸できるように適応していくかもしれない。人類はこの地球の究極のゼネラリスト (万能選手) であって、環境が極度に変化しても適応していくかもしれないが、本当のところ、いったいどうなるのだろうか。ただ、一つだけは確かにいえる。生きのびるためには、わたしたちはこの地球の仕組みについて、もっとたくさん学ばなければならないだろうということだ。


6月7日


地球の姿は “2億年後の地球!” ダイアモンド社 2004年



大陸の移動

  地球上の大陸は数百万年かけて離れていき、あるいは押しあい、そして再びつながって新しい大陸をつくりだしている。過去から現代までの大陸移動の軌跡をたどることで、科学者たちは未来の地球がどんな様相になっているか、予測できるようになった。

2億2500万年前
三畳紀までには、ほとんどの大陸がつながって、パンゲアという名の超大陸ができた。

8000万年前
パンゲアの分裂によって、大西洋が生まれ、太平洋は縮小した。オーストラリア大陸が赤道のほうに動きはじめた。

現代 − 人類の時代
このころの地球には、七つの大陸と大小いくつもの海があった。大陸はそれぞれゆったりと離れた位置にあった。生物はさまざまな気候帯で固有の進化をとげ、多種多様の種が見られた。

500万年後
世界は氷河の支配下にある。北半球のかなりの部分が氷におおわれ、海水面は低下するため、地中海は千あがる。

1億年後
氷河の時代は終わり、世界的に海水面が上昇し、海岸線の形を変える。オーストラリア大陸はアジア大陸とぶつかっている。南極大陸は北方のより暖かい気候帯のほうに動いた。

2億年後
分かれていた大陸が−つにまとまって、巨大な超大陸の第ニパンゲアとなる。地球上には、この広大な大陸と、それをとりまく「地球海」という大洋だけしかない。

★パンゲア 古代の超大陸。現代から約3億年前に形成されたが、約2億年前に分裂しはじめた。



2004年6月4日
 暗くなると共に、再び天の川が東の空から登ってきています。街の光の中でそれらを追いながら、記録したかなりのピンボケ写真を掲載しました。 お騒がせ彗星の光度が落ちてきました。

水の中の光景も追加しています。数千年の人の文化よりも歴史のある、彼らの営みのための環境がいつまで持つでしょう。

2004年5月22日
 彗星が光の中で何とか見える位置に来ました。


2004年5月12日
 宇宙空間は蜘蛛の巣が張らず、堆積物もつかず、埃も付かず、宇宙に投げ出されている衛星は金属はピカピカのまま、時間がたてば、低い確率でdustの衝突で傷つき穴があき、ピカピカの殺伐とした世界です。地上の山奥の民家の廃墟や、深海の遺跡とは大違いの世界で人の経験することの出来ない物で色々想像してみるほかありません。あまりに広くて、数十光年数百光年の近隣世界から人工飛行体が飛んで来る確率も無に近いほど低いものでしょう。せいぜい、太陽系の引力圏に紛れ込み巡航する彗星を見つけては観察し、宇宙のアジをきいている人たちがいます。遠く私たちの由来に心を向けています。他方、この地上にわき出た命として、今日明日の食べ物と生活に追われて、せいぜい自己の近い将来の死を憂い、健康に、華奢な生活にと走るのかもしれません。国破れて山河ありと言う人間世界の変化や、かって文学に登場した”モノの哀れ”は地上のものです。



2004年5月7日
川の中の生物を追加。カワニナは蛍の幼虫が捕食しえさになるモノで、これがいないと蛍も見られませんが、案外簡単に増えるようですが、増やそうとすると増えないのかどうか適した環境が必要のようです。歯舌シゼツのらせん状の構造で苔を掻きとって食べているようで、このシゼツはかなりの硬度の金属を含んでいるとのことです。 プラナリアも紛れ込んでいます。


2004年5月1日
 4月の山口市内の画像データを2度しか追加せず、5月になり、直前に撮影した、昼間のように明るい空を掲載します。掲載分はいずれも、50ミリ、F4で撮影しました。明るくても、何とか星が見えています。

2004年4月20日 4月某日 徳佐の空を追加。山口の北へ車で1時間の場所、徳佐、十種が峰にて撮影。山口市の光あふれる空とに違いを見ましょう。当たり前といわれればそれまでなのです。地平線の近くの天の川を見ることが出来ます。

2004年4月18日
 最近の天の川事情としては、オリオン座が沈みさそりが登ってくると言う時勢で、どちらの星座も天の川の両極なのでしょうか。さそり座は銀河の中心方向で、にぎやかな天の川で、オリオン座は反対側でやはりにぎやかな天の川です。反対側といっても10時くらいの差で180度ではないのですが、天の川は地平線を一周して、西と東に分かれているように取り巻いています。簡単に言って地平に天の川があり、銀河面の北側の空を見ているわけで、地平の明るさに融けて、天の川が見えないこのごろでした。東の地平線に天の川が上り始めるのが上がるのが夜半を過ぎで、いわば夏の銀河が上がってくるというのが、春の天の川事情です。天の川が私たちの頭と一直線に平面に並ぶことが分かります。私たちも天の川の面の中にいると言うことです。当たり前のことですですが、今は夜半まで天の川が見えませんでした。

2004年4月10日
更新しました。水中生物の登録をしました。この地球の生き物として、どう捉えるのか、星とのつながりはあるのか。無関係なのか。

 苦しい星空を更新しています。明るく、星が埋没しているから苦しいのです。何とか明かりの中から星を救って、画像にしています。撮影の焦点距離が長くなれば、苦しさはかなり解消されて撮影されます。通常のデジカメでは、なかなかバックグランドの明るさを差し引けていませんが、それでもはるかに多くの星を見ることが出来ます。

3月○日
空が明るいので、普通のデジカメではなかなか背景の中に没してしまって、写せない事も多く、なるべく暗くなるまで待たないと、無駄になる事もあります。このような設定では、ちょっと出かけて、望遠鏡をセットしたほうが、はるかにきれいな写真を得ることが出来るという当たり前の結論になります。しかし、自分たちの町の中から星を見ることは出来ます。

月が出て、空が明るいときは星もよく見えると思っている方もあるようですから、街の空も明るいと、星もよく見えると思われる方もあるのかもしれません。


風景の変遷で、これで良いのかと。星も見えがたくなるだけではなく、私たちの生きているこの大地に私たちは何をしているのかと思わせるものがあります。

エッセイスト、作家のウエンデル・ベリーの引用の引用

* エコロジストないし自然保護論者の見地からすれば、アメリカ先住民が土地に暴力をふるったことはない。それは、僕たちが教育などと呼ぶものが彼らにはない代わりに、完璧に統合された文化を持っていたからだ。その内容は、自分が土地に依存しているという高度に複雑な感覚であった。同じことは、ある種の古い農業社会の、特に東洋の小百姓について、一般的に言えることだろう。

* 先住民は土地を破壊することも傷つけることもなく一万年ものあいだ叡知と優雅さをもって暮らし、旅行には歩くための小径(こみち)さえあればよかったじ しかし彼らの後継者は百五十年ほどのうちに、少なくとも、その表土の半分の面積と、ほとんど森林のすべてを略奪し、直ちに道路(ロード)を造らねばならぬと感じた。僕の関心は、彼らが道路を必要としたか否かの問題にはなくて、彼らの道路が当時も、現在も、最も特徴的な、彼らの国土に対する関わりの形式であるということにある。

小径と道路の違いは明白なもの以外にある。 小径とは、土地の知識にくっついてくる習慣のようなもの、親密になるための儀式のようなもの。形としては、既知の風景と接触する一つの形式だ。それは破壊的でない。それは経験と馴れを通して場所へ動いてゆく、その運動に完全 に合わせたものである。自然の地勢に従う。障害にぶっつかれば、それを避けてまわる。しかるに道路は、どんなに粗末な道路でも、風景に対する反抗を体現する。

こういう言葉はみな『長い脚の家(The Long−Legged House)』 (一九六九年) から引用しました。最初の引用は米国にしか当てはまらないようなものですが、最後の引用のようなものは高度成長時代の日本はもちろん、現在の日本にも当てはまるでしょう。「道路は単に移動する必要からだけではなく、急ぐことにある。それが望むのは、風景との接触を避けることだ。それは地域を通って行こう、ではなくて、可能なところまで飛び越えて行こうというのだ」「近代的な道路は地形を破壊することによって進む」「地域を単なる空間に換えてしまう」とも彼は書いています。

"NHK テキスト アメリカ文学探訪(上) 志村正雄" より






秋穂の空を追加。秋穂の海辺にて撮影。機材は10年以上前の7.5センチ屈折望遠鏡。赤道儀は勝手に運転、修正せず、1-2分の露出で、すうコマ撮影。後は、画像を合成(ステライメージ)、フォトショップで縮小、文字入れをして、載せています。

 数十年前、この周辺の海で夜釣りのお供をしましたが、つりよりも船の中で見た星が印象的でした。今でもきれいに見えることが分かりました。


天の川は私たちのいる銀河系です。この中で、太陽が生まれ、惑星が生まれ私たちがいます。太陽は星の中では重い元素を含む何世代かの恒星です。私たちはここから生まれましたが、太陽と共にまたこの銀河に帰っていくときもあるでしょう。それは、どれだけ先のことか、どれだけ昔の話か。鬼が笑うとおっしゃるでしょうか。天の川銀河の端まで行くのに7-8万光年の距離があります。遠い過去と、未来と、遠い時間の話です。

 雪の日も多く、望遠鏡は雪をかぶった状態のこともあり、晴れていても寒いですが、本物の星を見るのも良いでしょうか。



わずかな太陽の撮影時間ですが、あまり戸外と縁のない生活でしたので、日に焼けてきたようで、最近黒くなったと思います。




地球が誕生する前から時間は流れていた。地球が壊れるまでにはさらに長い時間が流れるだろう。地球が生まれる前に、すでに、宇宙の始まりから今日までの膨大な時間の3分の2が経過していたのである。地球よりも何十億年も若い恒星や惑星系もあれば、何十億年も年老いたものもある。

人類はと言えば、私たちは遅れてきたものである。私たちは宇宙時間の最期の一瞬に出現した。宇宙の歴史の99.998%は、私たちが舞台に登場する前に、すでに終わっていた。その膨大な時間の流れの中で、私たちは、私たちの惑星にも生命にも、そのほかのいかなる出来事にも関与できなかった。私たちは存在しなかったのだから。

19世紀の中頃、チャールズ ダーウィンは、うまく機能する遺伝形質を残し、そうでないものを排除するという自然の無情な仕事によって、ある種から別の種への進化が自然界に起こりうることを示した。「傲慢にも人類は、自分たちは神が干渉するに値する立派な作品だと考えている」とダーウィンは簡潔に記している。「もっと謙虚に、人類は動物から作られたと考えるのが、よりしんじつにちかいだろう」。そして、地球上の他の生物と人類との深淵で密接な関係を認めざるを得ないことは、20世紀後半、分子生物学という新しい学問の発展によって、証明されたのである。

(カールセーガン、惑星へ、朝日文庫)

撮影メモ

inserted by FC2 system